ラーマ9世と日本との関係
「王室プロジェクト」と呼ばれる農業を始めとする地方経済の活性化プログラムを自ら指導する他、自ら土地改革運動のために王室
の所有地を提供したり、農村開発や干ばつ対策の人工雨等の各種王室プロジェクトを推進している。また、王妃と共に地方視察も非
常に精力的に行い、泥濘や雨天の中でも人々の輪の中に積極的に入っていくなど国民に近い立場を取り続けることから、確実にタイ
国民の尊敬と信頼を勝ち得た。実際に、毎年誕生日前になると全国各地に肖像画が飾られ、国王の色とされる黄色いシャツを着用し
た市民で埋め尽くされるほどである。
現在、このようにプーミポン国王がタイで広く非常に尊敬され支持されているのは、学校教育で行われている国王に対する崇拝教育
や不敬罪といった強制的なものによるものではない(「不敬罪」は存在こそするものの、実際にタイ国民がこの罪に問われることは
ほぼ皆無。ただし、王室という存在がないスイス人が不敬罪に問われ、結局は国王によって恩赦になった例がある)。また、サリッ
ト政権下で共産主義への対抗上、王室の政治利用が進められたことも影響しているという意見もあるが、いずれにしても様々な功績
が評価され、国民の間に自発的に尊敬の念が起きていると国内外より評価されている。
NHKラジオ深夜便の海外レポートコーナーなどで紹介する際も、必ず「(タイ国民が)敬愛するプミポン国王」という表現を使ってい
る。
長きに亘ってアジアにおける数少ない独立国であり続け、共に君主制を採り続けてきたタイの王室と日本の皇室は歴史的に縁が深く
、国王自身も1963年5月に初来日し、当時の皇居仮宮殿で昭和天皇と会談を行っている他、今上天皇と皇后とも数度に渡り会談を行っ
ている。
また、タイを公式、非公式で訪れることの多い秋篠宮文仁親王を「我が子と同様」であるとして懇意にしている。
なお、日本製の製品を日常に数多く使用することでも知られ、一時期王宮内の移動用にホンダ・アコードを3代に渡り使用していた他
、キヤノンの一眼レフカメラを長年愛用している。また日本楽器製造(現ヤマハ)はサクソフォーンを献上したことがある。
国王時代
1950年4月、フランス滞在中に出会ったシリキット・キッティヤーコーンと結婚する。彼女も王族であり、ラーマ9世の従姉妹にあた
る。同年5月6日に戴冠。その後1956年にはタイの仏教の伝統に基づき、仏門に入り一時的に俗世間を離れ、還俗(再び俗世に復帰)
した。この期間はシリキット王妃が摂政として一部公務を代行した。
1992年まで、タイは立憲君主制ではあるものの、実質的には軍事政権の国家であり、国王は政権の傀儡に過ぎなかった。ラーマ9世は
、官僚や軍部の調停役として権威を強化し、国民からも絶大な支持と敬愛を集めていった。また、共産主義化の波を受け、1960年代
から1970年代にかけてベトナムやカンボジアなど東南アジア諸国が混乱に陥った時も、タイ情勢の収拾に政治的手腕を見せた。ラー
マ9世によって、タイ王家はラーマ7世以来失墜した地位を大きく回復したといえる。
1992年に発生したクーデター未遂事件では、軍を背景にするスチンダー首相と民主化運動グループの民間人指導者、チャムロンを玉
座の前に等しく正座させ、説得のみで騒乱を一夜にして沈静化させた。「人間性が高く慈悲深い人物である」という、タイ国王が伝
統的に行うべきとされるノーブレス・オブリージュに一層の真実味を与えた一方で、ラーマ9世自身の政治的な成熟を見せつけ、権力
のバランサーとしての側面を強調するものとなった。ただし、ジャーナリストのポール・ハンドリーはその著書の中で、国王とスチ
ンダーの関係を示唆し、最初の衝突があって国王が行動に出るまで3日間の日時がかかっている事を強調している。結果スチンダー内
閣は解散し、同年の選挙以降タイ王国は民主主義国家となった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ラーマ9世はタイ王国のチャクリー王朝の9代目の王で、現タイ国王です。
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