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大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935年1月31日 - )は、日本の小説家。愛媛県喜多郡内子町(旧大瀬村)出身。映画監督伊丹十三は義兄にあたる。1994年にノーベル文学賞を受賞。
『東大新聞』五月祭賞に入選した小説『奇妙な仕事』が、『毎日新聞』の文芸時評欄で、平野謙に激賞された後、『文学界』昭和32年8月号に『死者の奢り』、同月の『新潮』に『他人の足』を発表し、『死者の奢り』は第38回芥川賞の候補となり、川端康成や井上靖、舟橋聖一らに推薦されたが、開高健の『裸の王様』が受賞した。新潮文庫『死者の奢り・飼育』の解説で、江藤淳は、「実存主義を体よく表現した小説」というよりも、安岡章太郎や川端康成につらなる叙情家の系譜ではないかと分析している。一般にはサルトルの影響を受けた作家とされ、石原慎太郎、開高、倉橋由美子と並んで、第三の新人以後の新しい世代とされ、その後の小説にその特異な文体ともども影響を与えた。[要出典] 『飼育』によって第39回芥川賞を受賞。川端康成は選評で、「芥川龍之介と大江健三郎では時代も、才質も作風も違うが、23、4の学生が、異常な題材を小説に仕上げた点を芥川と似通ったものと解釈し、芥川龍之介の名前を冠した賞に加えたいと思った」と書いている。舟橋聖一は、前回の芥川賞の選考に異議を唱え、『飼育』よりも『死者の奢り』にこそ賞を出したかったという選評を行った。 大江は同年、中編『芽むしり仔撃ち』を発表して好評をもって迎えられたが、翌59年には『婦人公論』に通俗恋愛小説『夜よゆるやかに歩め』を連載し、これは単行本されたが、現在では入手困難な、封印された作品となっている。 また同年書き下ろしの長編『われらの時代』(中央公論社)は、性的な主題が前面に出ていたため批判を浴びた。これ以後、2001年まで、大江は中央公論社からは一冊の単行本も出さなかった。大江は、性をグロテスクなものとして描くことを目指しており、その点で谷崎、川端、三島ら先行作家とは一線を画していた。 『セヴンティーン』とその第二部『政治少年死す』では、浅沼稲次郎暗殺事件に触発され、犯人の山口二矢をモデルとして書かれた。しかし、右翼団体によって、文藝春秋社等に脅迫が行われた。深沢七郎の、いわゆる「風流夢譚」事件とともに、戦後の言論の自由に関わる事件である。そのため、『政治少年死す』は単行本に収められていないが、鹿砦社の『スキャンダル大戦争2』に、著者の許可なく収録されている(『セヴンティーン』の第二部にあたる『政治少年死す』については、本文中に同性愛者を差別していると思われるとして否定的見解を示す者もおり、そこから大江が出版を自主規制しているのではないかとの説もある)。初期の作品から、天皇制や戦後の日本に希望の持てない青年の苦悩や退廃を表現した作品を多く発表した。
『個人的な体験』は、障害を持って生まれた子供の「処理」を考えながら、最後に回心に至る青年を描き、ノーベル文学賞の対象作品となった。1967年発表の『万延元年のフットボール』は、大きな反響を得た。万延元年の一揆と安保運動を重ね、さらには、天皇制の問題へと導く小説は、時間と空間をひずませる力を持つ。難解といわれる文体は、近代の標準的な日本語である東京方言に対抗しうる詩的な言語として、ノーベル文学賞に選出された際の受賞理由として挙げられている。しかし、江藤淳はこの作品を厳しく批判し、以後、大江の宿敵となる。また大江自身、この作品を超えることができずにいるという評価が一般的である。
『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』(1969年)、『みずから我が涙をぬぐいたまう日』(1972年)、『ムーン・マン』などの作品では、天皇制の問題と自己の生活を重ね、父、中心/周縁といったキーワードによって、象徴と実存を多層的に描いた。『洪水はわが魂に及び』(1973年)、『ピンチランナー調書』(1977年)は、天皇制の問題を考えつつも、大江の後期のテーマである「魂の問題」に移行しており、中期の中でも、特異な作風である。『ピンチランナー調書』は翻訳も多く、フランスやアメリカ、ロシアなどで高い評価を得ている。『同時代ゲーム』(1979年)は、大江健三郎が、現在までこだわり続けている作品のひとつである。文芸評論家などが、『同時代ゲーム』は、作家として名声を確立したあとの「奢り」のようなものとして批判したことに対して、大江自身は、「壊す人」などのモチーフ、作家の魂の問題などを取り上げており、自作の中でも、非常に重要な作品であることをエッセイ集や対談で言及している。
『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)は、18世紀のイギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩を引用し、大江自身の子供の言葉と重ね合わせながら、解釈を加えることで、自己の読書行為や生活行為における精神的な軌跡を丹念に描いているという点において、日本の伝統的な私小説とは一線を画す。『M/Tと森のフシギの物語』(1986年)は、『森』シリーズのうちでも、山口昌男らの文化人類学の思想を文学的に昇華させた点で注目されている。『人生の親戚』(1989年)は、映画を作る事によって、一人の女性の人生を描き、映像に刻まれる生の問題と文学を結んだ。『治療塔』(1990年) シリーズは、大江の中でも、特異なSF作品であるが、ヒロシマと原爆の問題と繋いでおり、後期の作品へと移行する際の重要な作品として研究が進んでいる。
1994年のノーベル文学賞受賞の最中に刊行された『燃えあがる緑の木』シリーズは、ギー兄さんと両性具有など、センセーショナルなキーワードで注目を集めたが、「魂の問題」と真正面から向き合い、『森』シリーズのエッセンスを凝縮した大作として評価されている。 『取り替え子(チェンジリング)』『憂い顔の童子』は、『さようなら、私の本よ!』に連なる、大江の『スウード・カップ ルおかしな二人組』こそ「後期の仕事(レイト・ワーク)」三部作を形作っており、『さようなら、私の本よ!』では、三島と戦後の問題を大江健三郎の小説家としての人生と重ね合わせて総括し、デビュー作の『奇妙な仕事』に回帰するという複雑な構成を持った小説である。
(以上、ウィキペディアより引用)
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